徘徊奇行≪欧州父娘旅編≫

飯田貞年(1974年卒・庭園班)

 11月30日(土)~12月16日(月)の日程で娘彩子とイスタンブール経由でポーランドのワルシャワ・クラクフ、ハンガリーのブダペスト、ポルトガルのポルト・コインブラ・リスボンを巡ってきました。時間が有りましたので乗り継ぎ便(イスタンブール経由でワルシャワ)、夜行寝台を含む鉄道での移動(ワルシャワ~クラクフ、クラクフ~ブダペスト、ポルト~コインブラ~リスボン)、そして殆どの宿をアパートメントタイプ(自炊・洗濯可・・私は皿洗い係)で自由気ままに街を巡り(極力歩き平均1日2万歩)、結果的に安上がりでしたが思い出深い旅となりました。

 今回の旅の目的は娘の婚約者に会うことでしたが、折角なので私が行きたかった国(ポルトガル)、娘が勧めたい街(クラクフ・・歴史的地区、ブダペスト)もとなった次第です。

 

 行きはイスタンブールでの乗り継ぎ時間が12時間ありましたので、トルコ航空のサービス市内半日バスツアー(歴史地区のアヤソフィア・ブルーモスク及び周辺散策・・アヤソフィアの後はガイドに断りを入れて自分たちで街巡りを楽しみました。朝食・昼食も無料で、何と太っ腹なんでしょう!)に参加しました。イスタンブールの路地のあちこちに猫がいます。「猫時々犬」で、猫がのんびり過ごす街は良いですね!平和を感じますね!

 

 ワルシャワで婚約者クリストファーと初対面!娘から「お父さん、怒ってないだろうか?」と彼が心配していると聞かされていたので、自分の時のことを思い出し充分すぎる程フレンドリーに接してあげました。手渡された婚約指輪は親指にピッタリ!緊張が解き放たれる瞬間でもありました。

 ワルシャワは戦禍で古い建物は殆どありませんが中央駅前に如何にも厳つい古びたタワーが聳えていたので市民の自慢の建物かと思いましたが、旧ソ連が力を示す為に建てたもので年配の多くの人は取り壊してしまいたいとの思いが強いそうです。なるほど・ザ・ワールド!そう言えばソ連のワルシャワ進行がありました。

 それに引き換えクラクフの歴史地区は戦禍を免れ古い町並みがそっくり残っていて、昭和の時代に映画で観たクラシックなヨーロッパそのものでとても素敵な街でした。バベル城・シナゴーグ(ユダヤ人の街)地区もあり街歩きには最低2日が必要です。多くの人が知るアウシュビッツはここから日帰りで行くことが出来ます。我々のポーランドに対するイメージは暗いものが先立つのが正直なところですね。

『雪の町娘(こ)が伴いて親子旅』

あっちウロウロ、こっちキョロキョロ。一人なら徘徊老人さながらです。

 

 ブダペストはドナウ川を挟んで分かれていたブダとペストが合併した街で、戦禍を免れ古い町並みが残りクラクフよりも規模の大きな街でした。娘曰く「ポーランドがショボク見えてしまう!汗!」ドナウ川に架かる鎖橋から望むブダ城・国会議事堂(特に夜景)は素晴らしいもので、遊覧船が行き交っていました。また、この地は街中に10以上の温泉施設があります。16・17世紀頃(確スレイマン一世の時から)オスマン帝国の領地だったこともありブダ城下のドナウ川沿いにオスマン時代の浴槽(ドーム内の円形プール)を備える温浴施設が2カ所あり、両方をたっぷりと堪能しました。トルコ大好き(国ですよ)人間の私たちには貴重な体験でした。良いですね!湯に浸かれるのは。

 『月冴えてブダの人の輪ハマムかな』

 

 ポルトガルの街は三つとも坂・坂・坂の街でした。それぞれ「バイシャ地区」と呼ばれる所があり商業地区として賑わっていますが、バイシャとは傾斜地と傾斜地の間の低地の意味だと判りました。流石にこの国での街歩きは疲れ果てます。小雨交じりのポルトの街の急坂の交差点(路面は石が引き詰められ馬の背状)で不覚にも転けてしまい、今もって座り方が悪いと尾てい骨に響きます。

 ポルトはポートワインの産地でもありますが、残念ながら我々には・・・・

一番の見所はドウロ川周辺の景観です。ドウロ川に架かる上下二重の鉄製「ドン・ルイス一世橋」は世界遺産で橋そのものも美しいし、また、橋からの景観も絶景でした。下の橋は車と人、上の橋はメトロと人が行き交います。橋上ではメトロはかなり減速して観光客を掻き分けるように走ります。間近を通過しますので迫力があり、鉄製の人工美を増幅するものでもあります。また、橋の片側の袂(道路)はメトロの地上への出入り口となっているので、まるでドラゴンが怪しい洞窟から突如として現れる、また、潜って行くようにも見えます。日本でしたら龍が黒雲から現れ、黒雲に隠れるといったところでしょうか。そして、重厚な外観と繊細な装飾の「カテドラル(大聖堂)」、「サン・フランシスコ教会」の御堂内部の金泥装飾も見事なものでした。

 『霧の橋メトロの走り龍の如』

 

 リスボンへ移動途中に学生の街コインブラを半日巡りました。この地はポルトガル建国(12世紀)当初の約100年中心地として栄えましたが、リスボンへの遷都後はコインブラ大学(ポルトガル最古の大学)を中心とした学生の街として発展しています。リスボン、ポルトに次ぐ第3の街です。見所はコインブラ大学の旧校舎の図書館(世界遺産)で内部は宮殿を思わせる造りで蔵書は30万冊以上とのことです。また、黒いマントを着た学生がシンボルと聞いていましたが殆どの学資は普段着で、数人の人しか見かけませんでした。観光客用??

 

 リスボンは首都であり、大航海時代にここからバスコ・ダ・ガマもインド航路発見の旅に出ています。その面影を残すベレンの塔(テージョ川を行き交う船を監視する要塞)、発見のモニュメント(観光用の記念碑)と共にガマの棺が安置される「ジェロニモス修道院」も見所で、いつも観光客で一杯とのこと。ポルトガルの代表的な菓子に「エッグタルト」があるのですが、この修道院が発祥でそのレシピを譲り受けた店が老舗名店として近くにあります。かなりの客席があるのですが行列が絶えないようです。シーズンオフということで何とか並ばずに入れました。5カ所程食べ比べたのですが娘が絶賛していましたので超お薦めと申し上げておきます。日本人にとってポルトガルと言えばカステラ、カステラと言えば卵(黄身)。エッグタルトも黄身。昔、修道院では洗濯物の糊として白身を使っていたことから残る黄身でお菓子作りをしたことが由来とのことです。だからですね、ポルトガルの菓子や菓子パンは黄色系が多いと感じました。

 

 ポルトもそうなんですが、市内の急な坂道を縦横無尽に走り回るトラムが有名です。90度のカーブも何のその、まるでアトラクションの乗り物のようです。何度も乗り降りを繰り返し名所(サン・ジョル城、広場、展望台、教会、美術館)を巡りました。

夜には宿のスタッフの紹介(予約もお願い)で待望のファド(国民的音楽:日本で言えば哀愁たっぷりの演歌でしょうか)レストランへ。2人で16,000円でした。大満足!

 『ポルトでは坂の路地間にコールドムーン』

 『人を分けガタゴトトラム寒し路地』

狭い坂の路地、その両側に立ち並ぶ家々の間を覗き込むかのように煌々と輝く満月。9時間前には日本でも観ていたんだろうな!天気は良かったのかな?なんて思いながらお月様を眺めていました。

 今回の旅は英語通訳兼添乗員兼家政婦付のお金には換えられない、私にとっては豪華?(優雅でははありませんが)なものとなりました。ワルシャワからは当然一人での搭乗・乗り継ぎ(滅茶苦茶広大なイスタンブール空港)で初めての経験でしたが娘の作成してくれた手順書のお陰で何とか無事帰国できました。TVで観る「初めてのお使い」のような気分でした。                                    (終)